これまでの経緯

2001年、株式会社大丸土地が自己破産し、同社が所有し管理していた「水道設備」と「道路(私道)」をどうするか、住民側は破産管財人から決断を迫られた。「水道設備」も「道路」も生活のために必要不可欠なインフラのため「水道設備」は無償で、「道路」は安価な値段で住民側が取得するという判断にいたった。

2001年、株式会社大丸土地が自己破産し、同社が所有し管理していた「水道設備」と「道路(私道)」をどうするか、住民側は破産管財人から決断を迫られた。「水道設備」も「道路」も生活のために必要不可欠なインフラのため「水道設備」は無償で、「道路」は安価な値段で住民側が取得するという判断にいたった。

「水道」同様一刻も早く市へ移管を働きかける事は自明の理で、「管理組合」もその方向で長年にわたって市側と交渉してきたが法律の壁は厚く難航している。最大の障害は、移管の条件を充たすために必要とされる事前の調査改修費用(2.6キロメートルにわたる道路とその地下の雨水管の調査、測量、移管要件を満たすための工事費)

費用のすべてを住民が負担する事は到底住民の理解を得られるものではないが、住民の経済的負担がゼロというのも現実的ではない。(水道移管の際も、地域によって金額差はあったが住民は経済的な負担をしている。)

移管のための費用が数年前に試算がされたが、工事費の高騰などがあり、リアルな金額を把握できていないのが現状である。

現実から目をそらさず、まずは行政が求める基準を満たすために調査改修費がいくらか把握した上で、行政にはこの地域が開発法制度が未整備な時代に開発された地域である事、他に類がないほど私道の距離が長いという特殊事情を理解いただいた上で、基準緩和や財政的支援など特別な政治的判断により、住民負担ができるだけ少なくなるよう働きかけていく事が、今後の管理組合に課された現実的な課題である。

管理組合と有限会社設立の経緯

苦楽園大丸地区道路管理組合は、大丸土地株式会社(以下「大丸土地」)が2001年に倒産後、大丸土地が分譲開発した地域の購入者が同年に設立した「苦楽園大丸地区水道道路管理組合」(以下「水道道路管理組合」)が前身である。

水道道路管理組合は破産管財人から無償譲渡を受けた水道設備一式とその管理を、地権者の合意と金銭負担の下で西宮市への移管後、現在の「苦楽園大丸地区道路管理組合」(以下「当組合」)に改称した。

一方、地区内の共有不動産等をすべての地権者の共有名義とする事はその数の多さから現実的ではなかったため、当組合の下に有限会社苦楽園大丸地区管理会社(以下「有限会社」)を設立し有限会社名で共有不動産等を登記した。

しかしながら、共有不動産等の管理責任は、共有不動産等(主に私道)の利用者である当組合およびその構成員(=組合員)にあるという認識で現在に至っている。

これまでの歩み

1960年(昭和35年)「株式会社大丸土地」開発分譲開始
2001年(平成13年)5月「株式会社大丸土地」自己破産申請
同年5月「苦楽園大丸地区水道道路管理組合」設立
同年11月破産管財人⇔「水道道路管理組合」間で水道設備一式の無償譲渡契約を締結。
同年11月道路部分の受け皿として住民有志からなる「有限会社苦楽園大丸地区管理会社」設立
同年12月破産管財人⇔「有限会社」(菅原代表)間で私道、急傾斜地の売買契約を締結
2004年(平成16年)水道の西宮市への移管完了
2005年(平成17年)「苦楽園大丸地区水道道路管理組合」を廃止し、「苦楽園大丸地区道路管理組合」を新たに設立
(現在にいたる)
2014年(平成26年)西宮市「 管理組合」に対し4つの案を提示
2017年(平成29年)西宮市「管理組合」に対し上記の4つの案の内のB案(管理協定案)において、側道・雨水管・道路方面(のりめん)を対象からはずす事を表明
2022年(令和 4年)「管理組合)」西宮市に対し、”すべての私道の市への移管”(A-2案)が住民の総意である事を表明